志 賀 哲 太 郎 年 表

和 暦

西暦

月日

年齢

事             項

慶応元年

1865

828

0

父志賀甚三郎、母寿加の長男として田原村330番地で生まれる  幼名岩太郎

明治4

1871

5

中村傳兵衛に四書五経等の手習いを受ける

明治5

1872

6

木山町の私塾に通う

明治16

1883

17

神水義塾で陽明学、英語、仏典等を学ぶ

明治20

1887

2

21

明治法律学校入学、法律学を専攻(大甲村庄史による)

明治22

1889

12

24

12月父甚三郎死去 (享年57)

明治23

1890

3

24

紫溟学会に入会  国権党員、九州日日新聞の記者になる 

古荘嘉門(後に群馬県・三重県知事、衆議院議員)・佐々友房(後に衆議院議員)・安達謙蔵(後に逓信・内務大臣、衆議院議員)・宮崎滔天(孫文と交友)らと交流

明治24

1891

212

25

英語学修業(京都オリエンタルホール)

明治25

1892

8月~

26

法律学研究のため元控訴院判事深野達に師事

明治26

1893

56

27

選挙活動で東京、京都へ(宗方小太郎日記による)

明治27

1894

3

28

九州日日新聞を辞し国権党を離党

4

28

熊本県菊池郡原水尋常小学校雇教員

明治28

1895

4

29

菊池郡原水・大原義塾塾頭に就任

明治29

1896

12

31

台湾の子弟教育を目指し台湾へ渡る

明治30

1897

31

台湾語習得を兼ねて酒店業開  12月酒舗の資金繰り不足で閉店

明治32

1899

223

33

雇教員として採用  居所を文昌祠に移す  台湾語研修

519

33

大甲公学校へ赴任

明治42

1909

918

44

三堡に校舎完成

大正3

1914

331

48

金子校長辞職

大正8

1919

810

53

勤続20周年祝賀会は岡村校長の圧力で中止

大正11

1922

331

56

台湾公立学校官制公布 (教諭の名称が訓導に改まる)

大正13

1924

1221

59

勤続25周年祝賀会

1229

59

遊泳池で自決

1230

-

葬儀挙行、鐡砧山に埋葬

大正14

1925

21

(0)

芝山厳に合祀

大正15

1926

1030

(2)

鐡砧山に「志賀先生之墓」建立

昭和27

1952

8

(27)

教え子、日本大使館の哲太郎の墓撤去に反対

昭和41

1966

928

(42)

生誕百年記念墓前祭 「志賀先生之碑」建立を決議

平成24

2012

22

(87)

大甲区文昌祠に志賀紀念館開設

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